虹彩の形状から病気を診断する虹彩 診断は、とても古い歴史を持っています。眼を用いた予言と、これに関連する古代占星術が現代虹彩 診断法の先祖と言えます。

 病気診断の目的で虹彩が利用されたのはかなり昔からのことですが、虹彩 と臓器との関係を表した最初の文献は、Asia Minorの洞窟で発見されました。3000年前にはインドと中国で病気診断の際には、感覚器官の状態が大きな意味をもっていることを発見していました。特に、眼の変化に重点を置いて病気を診断してきました。これに関しては、S. HippokratesとFilostratesによって記述された文献が残っています。

 Tytanhamon ファラオ時代のエジプトの神官たちも、虹彩 による診断法を研究していました。ファラオの有名な神官であった El Aksは、虹彩診断に対する多くの研究の他、眼を通した病気診断の大衆化にも力を尽くしました。こうして虹彩 により病気を診断する虹彩診断は Egyte(エジプト) 、Babyion(バビロン)、チベット、 インド、中国と色々な地域に拡がっていきました。

 El Aksは虹彩による病気の診断法について、50mに及ぶ二つのパピルス紙に記述しました。このパピルスは《 Gizeh 》と言う都市にある墓の発掘時に発見され、現在はバチカン図書館に所蔵されています。パピルス紙には亜鉛とニッケルで作られ銀を含んだ特有の液体と重ねられた鉄板を利用した、虹彩 の撮影方法について言及されています。

 El Aksは、この平板を患者の眼から2cm程度離れた所に正確に4分間置き、次にある液体を塗った後に、また患者の眼から30cm程度離れた所に固定しました。平板表面 に化学処理をした後、平板には色彩を発する画像が表れたとされています。

 El Aksのカラー撮影法に対する秘密は今も明らかにされていませんが、平板表面 に表われた眼の画像の明るい色は今日まで保存されています。

 Tytanhamonの神官墓地で、ファラオの眼の画像が映し出されたいくつかの鉄製平板が発見されています。それら平板より当時のEgyteの支配者がどんな病気にかかっていたのか判別 できます。

 古代チベット医学では病気を診断する時には、患者の外見を観察しました。

 患者の皮膚、舌の状態や眼の形状、耳の状態、筋肉の動き、呼吸の状態、胆と排泄物の成分や臭い等、非常に細密に観察しました。その中でも特に眼は、人体内部の多くの疾病状態を知らせてくれる道具として認識されていました。目に光彩 や生気がないのは、深刻な疾病中であると判断されました。

 Aristotleによって研究された観相学理論も、眼の特徴に特別 な意義を与えています。

 例えば、強くて勇敢な人間は深い目と濃い眉毛、やや細く長い顔、大きな額、かたい髪の毛で、怖がりや弱い人間は青白い目とまばらな眉毛、柔らかい髪の毛、まぬ けな人間は伏目がちで、特色のないふっくらした眼と広い鼻、上唇が下唇を時々覆ってしまうほど厚い唇をした者が多いとされています。このように太古から、眼には多くの事実が表れているということを経験的に知っていました。

 古代東洋では人間の顔の秘密、特に眼の虹彩の秘密をあたかも本のように読める遊牧アラビア人たちの神秘な芸術−キイヤファ( Kiyiafa )が人々に人気がありました。

 < Fanzit >と呼ばれるチベットの医師たちは肝の技能の体現者と言えます。眼に(チベット語の眼を直訳すれば<肝の花>)関心を集中しました。彼らは、人体の内部器官の異常障害を判断できる変化を、瞳孔の<文字板>で識別 できました。そのことから、眼(虹彩 及び 瞳孔)を身体の深い場所を覗き見る窓と呼んできました。

 昔から牧童たちは羊の世話を通して、羊に関する多くの事実を理解してきました。牧童たちは羊の眼の線や斑点を見て、羊たちの病気を判断しました。また、彼らは羊を購入する時も眼、特に虹彩 を見て健康な羊を購入しました。彼らの間では、動物や人間の病気は性器を通 して体内に入り、眼に様々な色の斑点として表われると信じられていました